2012年8月8日水曜日

おいしい「特約」

大手百貨店そごうの倒産劇を思い出してほしい。そごうが興銀主導の「再建計画」を断念し、民事再生法の適用を申請して事実上倒産したのは、なぜだったか。新生銀行(旧長銀)からそごう向けの債権約二〇〇〇億円を買い取った預金保険機構がいったん、そのうちの九七〇億円を棒引きすることを決めたものの、国民の批判が集中しだからだった。なぜなら、それは税金による私企業救済にほかならなかったのだ。

では、なぜ預金保険機構は、不良債権であることが分かっていたそごう向け債権を、わざわざ新生銀行から買い取らなければならなかったのか。実は、国が一時国有化していた旧長銀を九九年十ー月に米国の投資会社、リップルウッド・ホールディングスを核とする投資組合に譲渡することを決めた際、「瑕疵担保特約」を結んでいたからである。

この投資組合を経営母体とした新生銀行はこの特約をタテに、国に買い取らせることに成功したのである。この特約がある限り、新生銀行は旧長銀から引き継いだ債権について、まったくリスクを負わなくてよい。二〇〇〇年七月一七日の衆院大蔵委員会で、民主党の岩國哲人代議士が「二〇世紀でいちばんおいしい取引」と邦楡したのももっともである。

国はなぜ、「究極の不平等条約」ともいうべき、こんな特約を結んだのだろう。旧長銀の資産は傷みに傷んでいた。国は個別の債権を査定して問題のあるものには、ある程度の引当金を積んでいた。しかしそれでも、まるごと引き受ければ、新たな損失が発生する恐れがあったのである。この種の何らかの特約をつけておかなければ、旧長銀をまるごと引き受けてくれるところはなかったに違いない。

しかし、「担保特約」でなくともよかったはずだ。九〇年代初めに金融危機に見舞われた米国では、「ロスシェアリング方式」が一般的だった。もし、譲渡後に二次損失(ロス)が発生すれば、たとえば国が八割、引き受け先が二割負担するというものだ。これなら、引き受け先も多少のリスクをかぶることになる。

国側は、金融再生法には「ロスシェアリング方式」についての規定がなかったので、仕方なく「担保特約」を結んだと弁解する。しかし、「担保」についても規定がなかったものを、民法の条項を準用したのである。「ロスシェアリング方式」でリスク分担するこども可能だったはずだ。

民主党案を「丸のみ」した金融再生法は確かに議員立法、それも野党側による法律である。「官僚法学」に長けた官僚たちが、細かい技術的な部分まで精査した政府提案法律=官僚立法とはわけが違う。それだけに、政府は慎重に運用して、国民負担を最小限にするよう努力すべきだった。にもかかわらず政府はなぜ、結果的に国民が大きな負担を負うことになる「担保特約」を結んだのだろうか。

それは結局、「護送船団行政」、そしてそれから必然的に派生する「先送り体質」にたどり着く。いずれも、日本の金融行政、そして金融業界の「お家芸」である。本来なら、破綻し一時国有化された金融機関の不良債権は整理回収銀行(現整理回収機構)などに譲渡し、正常債権や一部の問題債権だけで新銀行に再生すればよかったのである。それこそが金融再生の目的であったはずだし、「ロスシェアリング方式」や「担保特約」などの特約すら必要なかっただろう。

しかし、金融再生委員会は「借り手保護」を錦の御旗に、旧長銀を「まるごと」再生しようとしたのだ。これは「護送船団行政」以外の何ものでもないだろう。「まるごと」再生しようとすれば、必然的に何らかの特約が必要である。その際、「ロスシェアリング方式」ではなく、なぜ「担保特約」を選んだのか。その根底には「先送り体質」がある。

なぜなら、「ロスシェアリング方式」なら、債権を厳密に査定しなければならない。おそらく当初よりも厳しい査定となり、積むべき引当金を大幅に増やす必要が出たはずだ。「担保特約」なら、甘い査定でも引き受け手は損失をかぶらないから、当面は引当金を少なくすることができる。つまり、一見、国民負担を少なく見せることができるのである。「まるごと再生」「問題先送り」の思想はここにも見られた。

だが、そごう問題ではっきりしたように、これらはすべて裏目に出た。「借り手保護」を目的としたはずなのに、新生銀行が債権放棄を拒否したため、そごうは倒産に追い込まれた。当面の国民負担は少なく見えたものの、結局は「ロスシェアリング方式」の場合よりもかなり増えそうだ。

債権放棄を拒否して国に買い取りを請求すれば、まったくリスクを負わなくていいのだから、新生銀行の行動はある意味ではきわめて合理的である。新生銀行あるいはその母体である投資組がしたたかだったのは碓かだが、責められるべきはむしろ。このような不平等条約を結んだ金融当局のほうだ。

やはり一時国有化された日債銀のケースでも、ソフトバンク、東京海上火災保険、オリックスの三社を中心とした「ソフトバンク連合」に譲渡した際、同様の「担保特約」が付いていた。つまり、「護送船団行政」と決別したといいながら、実はまだどっぶりと旧来の発想に浸っているのである。