2012年9月26日水曜日

効率第一主義では人材も集らない

給与を活用するときに生活と金銭的収入のバランスを考慮する新たな金銭感覚をもった女性が増加して合理的な経営感覚が家庭にも普及しはじめます。さらに「ともばたらき」が増加し女性の社会参加がふえて男性もようやく家事に参加するようになり男性も仕事や生計のいとなみを文化的なものとして、それを達成する手段として金銭的収入を位置づけるようになりました。

これは「仕事のためには金銭や損得を犠牲にする」「家計は一切妻にまかせていて金銭感覚はゼロ」という従来の男性サラリーーマンの生活態度を根本から変化させ、仕事にも家族生活にも「ゆとり」をもって臨み、文化的な暮しと金銭的な収入とのバランスをとろうとする生活態度を生んでゆきました。

他方、女性の経済的な自立は男性の評価にあたっても経済力を重視する視点を持ち込み、家族関係や結婚すら「金銭を獲得する能力」を抜きにしては考えることさえ難しくなりました。若い人々の結婚の条件にさえ「三高=金銭収入が高い、学歴が高い、背が高い」などの問題が持ち込まれる時代になってしまったのです。

これは私たちのような中年世代にとっては確かに悲しいことです。とくに学歴は「肩書社会」のシンボルですし、背にいたっては「よくこんなことが言えるな」とさえ思われるほどです。金銭収入もがっかりというところですが、強いて考えてみれば文化的な生活と金銭的な収入との間にバランスをとってゆくことは「生活の知恵」のひとつには違いありませんから、文化と経済を考える場合には評価すべきことなのかも知れません。

これと並行して職場でも大量生産のシステムを導入した結果、組織が巨大化して職場の製品管理の体制が厳密になり、高い精度の製品が産み出されたかわりに人間は「巨大組織の部品やネジ」のように取り扱われる事が多くなり規律や責任が強調されて「人間的な対話やコミュニケーション」よりも製品を欠点なくつくりだすための管理体制が重視されてゆきました。