2013年3月30日土曜日

使えなければただの物体

東京オリンピックを境に、日本は高度成長時代に突入します。雑誌も急速に大型化、カラー化か進み、ビジュアル時代を迎えます。そのためカメラも、露出計連動ないし露出計内蔵の必要に迫られました。取材対象も多様化、これに対しニコンは、フイッシュアイ(魚眼)から1200ミリまで、三十種におよぶレンズ群の充実で応えました。距離計連動のニコンSPは、メカニズム的に改良の余地がないところまで行ったという理由で昭和四十年六月に製造中止となりましたが、わが写真部では、その後も十七年間使っていました。昭和四十九年六月に販売停止になったニコンFも、それ以後、十三年間にわたって現役でありつづけました。

ニコンFは、その後、F2、F3、F4、F5と、新しい機能を搭載した機種を出しつづけて現在にいたっています。ニコンFシリーズがユーザーの心をつかんだのは、初代から最新型までの四十年間、F系列の全機種でレンズマウントが不変であったからではないでしょうか。ちょうど筆者が出版社‐の写真部員になったときに使い始め、生産打ち切り後も、優秀さゆえに別れを告げられなかったカメラたちが、いまクラシックカメラーブームの主役になっているわけですが、発売当時の値段は、いずれもめっぽう高価なものでした。ニコンSPは初任給の約八倍、単純比較はできませんが、現在の初任給が二十万円とすれば、その八倍で百六十万円です。いまなら立派な乗用車が買える値段です。

現在のニコンの最新型カメラは、50ミリFI・4の標準レンズ付きF5でメーカー希望小売価格(税別)は三十六万三千円です。現在、クラシックカメラの目玉になっているニコンSPの値段とほぼ同じです。昔のカメラはすべて手動。露出も絞りもシャッタースピードも、何から何まで自分の頭で考えて決定していました。この手動カメラの対極が、いまの押せば写るカメラです。コンパクトカメラから使い捨てカメラ、高級カメラにいたるまで、搭載されたコンピューターがフィルムの感度の読み取りから、露出やピント合わせまでやってくれます。被写体の動く先を読み取るレンズどころか、ファインダーをのぞけば、目玉の動く先々にピントを合わせてくれるカメラまで現われています。こうなると、人間がすることは構図の最終決定とシャッターボタンを押すだけです。

いまやカメラは全能に近いところまで進歩したわけですが、ここに思わぬ落とし穴がありました。搭載されているのは全能のコンピューターかもしれませんが、使うほうはわれわれ人間だということです。いくら便利な機能が満載されていても、使いこなせなければただのオブジェにすぎません。全自動カメラを買って、まず格闘しなければならないのが操作マニュアルです。それも、あまりにも機能が多すぎて、一度やニ度、試してみても覚えられません。

故障でもすれば、修理も大変です。以前は、探せば町のどこかにカメラの修理屋さんがあったものですが、いまのハイテクカメラは、そんな職人技では歯が立ちません。メーカーのサービスーセンターに持ち込んで、ブラックボックスと化した部品を丸ごと交換してもらうしかありません。その分、修理代も、というより部品代も高くつきます。いま頃になってクラシックカメラに人気が集まり出したのは、単なる骨董趣味や手仕事へのノスタルジーだけではなく、案外、こんなこととも関係があるのかもしれません。