2013年11月6日水曜日

首都の朝の風景

いかにもブータン的なのは、ティンプを見下ろす山腹に、高さ三〇メートルを超す大仏の建立が進んでいることであった。聞くところによれば、ブータンで最も僻地とされるクルテ地方でも、同じく三〇メートルを超す巨大なウギェンーグルーリンポチェ像の建立が着工されたとかことである。両者とも、信者たちの自発的な発願によるもので、すべて民間からの寄進によってまかなわれている。わたしは定宿としている小さなゲストハウスに投宿し、いつもの部屋に落ちついた。翌朝いつものように、市街地を一周する散歩に出かけた。六時には夜は明けているが、道路には車一台走っておらず、時折バス停に向かう人とすれ違う程度である。

あちこちに神々に捧げられるサン(松柏などの葉を焚いたもの)の白い煙が昇り、香ばしい香りが漂っている。道ばたには、あいかわらず野良犬が寝そべっておりヽ早起きの犬たちは路上を我が物顔に戯れ合っている第三代国王の発願により建立された巨大なメモリアルーチョルテン(仏塔だけが例外で、ここには五体投地(両膝・両肘・額を地につけて、尊者・仏像を拝すること)を繰り返す人、数珠をたぐりながら念仏を唱えチョルテンを右逍(仏像の周りを右回りにめぐること)する老若男女が跡を絶たない。この朝の静けさは、わたしが最初にブータンを訪れた一九七八年と何ら変わるところがない。

朝九時近くになると、首都はようやく活動を始める。何よりも中央政庁タシチョーゾンに向かう人たちの通勤ラッシュである。確かに車は増えた。しかし、赤ん坊をおんぶしたり、重い荷物を担いで、目抜き通りを歩いている人もまだまだたくさんいる。頻繁に行き交う車を横目に、野良犬はロータリー近くの路上に寝そべって動かず、車の方がよけて通ることになっている。警官が手信号で交通整理をしているIカ所を除いて、主要な交差点はすべて信号なしのロータリー方式であり、運転手が自ら状況を判断して、停車したり、譲ったり、進入したりして、さしたる渋滞もなくほぼスムーズに流れている。

例外的に数力所に横断歩道が印されているが、歩行者はそんなことにかまわず、車の切れ目を見計らって道を横切る。機械的な制御はいっさいなく、一律的な交通規則に従うのではなく、通行人と運転手がお互いに目と目を見合わせ、相互の合意と譲り合いによって成り立っている。車の数もまだまだ少なく、スピードもせいぜい時速二、三十キロメートルであるから機能するのであろうが、なんとも人間的である。行き交う人びとの中には、明らかにインド人、ネパール人とおぼしき顔も少なくなく、ブータンの民族構成、労働力事情を反映している。ブータン人の大半、そして学校に通う生徒たちの全員が、男はゴ、女はキラという民族衣装を着ており、ブータン様式で統一された建物と相まって、ブータン独特の雰囲気を醸し出している。

さらに、別に用があるわけではなさそうであるが、とにかく通りを行き交う僧侶たちの姿は、仏教が人々の生活に身近に密接に関わっていることを反映している。その僧衣のえび茶色、黄色は、民族衣装の明るい色と派手やかな柄とともに、ブータンの町に欠かせないもので、これらすべてがよく調和して通りを活気づけている。歩きながら携帯電話で通話している人もあるが、最も目につくのは、往来の中で立ち止まって、二人で向きあって、あるいは数人で車座をなして話し込んでいる人たちである。何をそんなに話すことがあるのかと思えるほど、長い立ち話にふける男女が多い。通りは、買い物のために通り過ぎるところでもなく、ウィンドウショッピングを楽しむところでもなく、なによりもれっきとした社交場である。