2013年12月25日水曜日

真つ先に超高齢社会になる日本

団塊の世代は自分たちで意思決定しなければいけない。まず、職場においては、自分たちはさっさと下の世代にポジションを譲り、会社にすがりつかない。あとでも触れる企業年金などは、率先して給付引き下げか解散に賛同する。選挙においては、たとえば、「大阪維新の会」の橋下徹大阪市長の政策アジェンダが、どちらかといえば若い世代寄りで、そこに彼の求心力があるのだとすれば、上の世代内で多数派をなす団塊の世代自身が、あえてその構造改革的な政策を支持したらどうだろう。橋下徹氏に国家経営者としてどれだけの資質があるのか、私にはわからない。ただ有権者が、より若い世代寄りのアジェンダ、より反既得権的なアジェンダを提示しているリーダーや政党に投票し続けることのインパクトは大きい。

二〇〇〇年代の小泉純一郎政権の構造改革路線は、少なくとも、上の世代が持つ既得権益を解放する方向だった。ところがその後、おそらく団塊の世代を中心に揺り戻しが起きて、構造改革路線はすっかり悪者にされてしまった。不幸なのは、「小泉改革=格差拡大」というイメージだけが繰り返し刷り込まれて、規制や既得権に切り込んでいく姿勢まで否定されてしまったことだ。その結果、民営化も労働市場の改革も不十分に終わった。気づいたときには、日本経済は沈滞し、活力が生じることもなく、いちばん弱い層である若年労働者に全部しわ寄せがいき、失業者を増やすことになった。

加えて、民主党政権は、格差拡大が市場原理や競争原理の行きすぎ、すなわち構造改革の行きすぎに起因するという、大間違いの診断に基づいて政策的な方向転換を加速してしまった。結果、政権交代から三年たっても若年層失業率も非正規雇用比率も上がり続け、格差拡大も止まらない。そもそも学者や評論家が期待するほど、政策的なイデオロギーが社会現象に大きな影響を与えることはない。社会のメガトレンドは、人口動態の変化や産業構造の変化といった、もっと構造的、現実的な条件変化から生まれるものなのだ。政治経済思想の代表選手である社会主義思想とて、もとを正せばすでに存在した社会現象の後付け説明原理にすぎない。それを無理に演緯するものだから、二〇世紀の人類に大変な惨禍をもたらすことになる。

ちなみに日本では格差を生み出したという評判の「新自由主義」や「市場原理主義」に至っては、欧米ではイデオロギーとしてほとんど認知さえされていない。日本で使われているのと同じ意味で広く一般的に使われている英語まともな学者やエコノミストの世界でめったに聞いたことがない。そんなものに世界の先進国共通の病である所得格差問題、世代間格差問題を生み出すほどの力はない。団塊の世代は、このような直近の教訓と歴史的教訓を踏まえ、自らがなした「構造改革潰し」を反省し、いまこそ若い世代の活力を甦らせる改革を支持すべきではないだろうか。くれぐれも自分たちが若いときに罹った思想的な麻疹をぶり返して、サヨク的思想を勢いづかせるようなことは慎んでもらいたい。

現在、世界の先進国では同じような問題が起きている。既得権をよりたくさん持っている上の世代と、既得権をほとんど持たない若い世代の間の対立が基本構図で、かつてのような左右のイデオロギー対立ではないことに注意したい。結論から言えば、リーマンショックで新自由主義(そういう思想が仮に存在したとしても)も破綻したし、社会民主主義も破綻している。日本人が好きな「北欧モデル」もピンチを迎えていて、たとえばスウェーデンでは失業者への給付と、準公務員的な雇用数の増加が国家財政の重い負担になりつつある。