2014年9月16日火曜日

連立政権と租税特別措置

もちろん、以上は各時代ごとの主たる動きであって、従来からの細々した租税特別措置が姿を消しだのではない。のちにもまた述べるが、公共事業のなかでも伝統的に大きな位置を占めてきた道路事業の財源である軽油取引税や揮発油税の税率改定をめぐって、道路族とトラック運送業者などをバックにする商工族とのあいたで争いが繰り返されているように、租税特別措置はどの時代においても、きわめて裾野の広いものであり続けた。

ただし八〇年代にみられる従来と異なる動きは、深刻な歳入危機によって、租税特別措置の内容が縮小していることである。八〇年代後半以降、「租税特別措置の整理合理化」がさすがに歳入政策のテーマとされ、各年度ともに、最も基礎的な小項目で数えて五〇から八〇項目が、対象としてあげられている。それらのほとんどは、租税特別措置そのものを廃止するのではなく、たとえば原価償却率の引き下げ、特別償却制度の対象の縮小などである。

先に『税制改正一覧表』に要望を上せる団体の増加をみた。自民党政権は、これらに応えて集票装置に組み込んだものの、その末期には財政危機とともに身動きの取れなくなった「巨象」のような状況に、陥ったといえるであろうか。いずれにせよ、歳入予算にたいする政治の介入は、税制の体系を歪めざるをえないが、「整理合理化」のタテマエのもとに小手先の修正を余儀なくされることで、ますます混乱していった。

細川連立政権の登場によって自民党が最も影響を受けたのは、租税特別措置の決定であったかもしれない。九四年度予算の編成にあたって自民党は、『税制改正一覧表』の取りまとめを中止した。多様な利益集団の側も、組織としての自民党への租税特別措置に関する要望提出に消極的となった。このことは、補助金を中心とする歳出予算にもまして、租税特別措置への影響力行使が、単独政権ゆえに可能であったことを意味していよう、いいかえるならば、税制なる技術体系の細部に踏み込んだ政策決定は、たんに知識のレベルを越えて官僚制にたいする強大な影響力行使があってはじめて可能なのである。

細川連立政権のもとでは、各団体から寄せられた税制改正要望は、連立与党の代表者からなる政策幹事会において審査され、さらに連立与党の政務幹事会との合同会議において与党の税制改正要綱が決定されている。しかし、ここでは、がっての自民党税調のような要望の細部にわたる検討は行われなかった。与党各党は、旧新生党グループを除いて、そもそも租税特別措置の内容決定についての政治的トレーニングを積んでいない。また背後の利益を異にしている。連立与党間の利害調整を押し進めることは、自民党内の族議員間の調整よりもはるかに困難であった。こうして、行き着くところは、租税特別措置にたいする政治的リーダーシとフの発揮を放棄し、大蔵官僚制に依存することであった。