2014年11月17日月曜日

日本人の権利意識の有無

「無理が通れば道理が引っ込む」のことわざ通り、裸のエゴが既成事実を作り上げているケースがあちこちにあります。その既成事実によって、侵害された権利がなかなか守られません。裏返して言うなら、他人の権利を侵害した者の責任がほとんど追及されてこなかったことこそが、日本における問題でしょう。

そもそも「権利かおる」ということの実体は、既成事実であってもそれをひっくり返す力があってこそのものです。しかし日本では、そういう力はなかなか発揮されません。権利といっても、それを実現するための手続もあって初めて意味があるわけで、幻のような「権利まがい」がいくらあったところで、あまり意味がないのです。

どういうわけか日本では、あまり意味のない権利であっても立派に保障されているような錯覚をさせられ、「権利」はとても高らかに謳われます。ところが、「それでは、一体何かできるの?」と訊くと、とたんにシーンとしてしまいます。その権利なるものを行使した人(手続を使った人)など、ほとんどいなかったりします。そうなって初めて、権利など「絵に描いた餅」だということが分かります。

実際には、権利が行使されるのではなく、マスコミなどの「世間の裁き」によって、のみ「政治家は悪い」「あの企業は悪くない」といった評価が下されるだけであったりします。それで国民がうまく編されて「権利かおる」と錯覚し、満足してくれているとしたら、こんなに政治のやりやすい国はないでしょう。