2015年9月16日水曜日

定年制の現実的な意味

しかしながらこの年齢層の労働者を果して高齢者として壮年層と区別することが適切かどうかには疑問が残る。日本の企業の定年制の歴史をひもといて見ると、それは明治三〇年代にまで遡る。財閥系の大企業で五五歳を定年と定めたという記録がある。しかしこの頃の日本は、人々の平均寿命は五〇歳にまで達していない社会だったのである。つまり、企業に五五歳まで勤め上げるというのは非常に珍しい例で、古稀の祝いと同じように赤飯を炊いて祝い、企業は永年勤続者として表彰したのである。

定年制の現実的な意味がガラッと変わってしまったのは第二次大戦後である。第二次大戦直後の日本人の男子の平均寿命は五一歳だった。ところが一九五〇年代から六〇年代の二〇年間に平均寿命は男女ともに飛躍的に伸びて、一九六〇年代末には男子は七〇歳を超えた。いいかえれば日本人はこの二〇年間に事実上全く年齢をとらなかったといっても良いような社会的変化を経験したのである。

その結果、かつては永年の生存と勤続の表彰としての意味を持っていた定年が、まだ働ける人々にやめてもらう一種の誠首のような意味を持つようになってしまったのである。一九七〇年代から日本の人口の高齢化が急速に進みはじめたのを受けて政府が音頭をとり定年制の延長に努力した結果、今日では大半の企業が定年年齢を五五歳ではなく六〇歳に定めるようになっている。

しかし、それでも日本人の寿命の大幅な伸びにくらべればそれはわずかな変化でしかない。日本人の寿命が戦後二〇年以上も延びたという事は、その一部には幼児死亡率が低下した事による統計的な効果が含まれているとはいえ、やはり多くの日本人が年をとっても元気でくらしているという事にほかならない。

印象的に言えば、今の六〇歳の人は昔なら四〇歳くらいの人の体力や元気があると言ってもよいだろう。そのように考えるならば高齢化は経済活力の低下であると考える必要はなく、これらの人々の人的資源をいかに活用するかによって日本の経済社会の可能性が大きく変わってくるという事である。