2015年10月16日金曜日

金本位制の放棄が重要

一九三六年になっても金本位制に固執した第四グループのオランダ、フランスは、スペインと地理的に近いにもかかわらず、ひどいデフレに陥り、なかなか回復しませんでした。「大恐慌論文集」では、物価だけでなく、生産活動など他の経済指数についても、金本位制との関連性を示しています。どこの国でも、大恐慌のときには、物価と生産活動に強い相関が見られます(日本は物価の下落にもかかわらず生産の落ち込みが少ない、例外的な存在です)。そして、物価の下落も、生産活動の落ち込みの程度やその後の回復も、やはり金本位制からの離脱時期によって決まっていたのです。

一国の歴史だけだと、それぞれの国の事情などもあってなかなか本質がみえません。しかし、国際比較アプローチの観点からみると、問題の本質が浮かび上がってきます。しかも、国際比較は客観的なデータ分析によって行われているので、きわめて説得的です。こうした国際比較重視の大恐慌研究は、アイゲングリーンら(カリフォルニア大学)によって一九八〇年代半ばから始められました。彼は、この分野で重要な貢献をしたテミン(マサチューセッツ工科大学)とともに「大恐慌論文集」に書評を寄せ、バーナンキの貢献を高く評価しています。

また、この分野で重要な貢献をしたクリスティーナーローマー(カリフォルニア大学)は、次期CEA(経済諮問委員会)委員長に内定しました。アメリカの底力をみた気がします。これで、アメリカの次期政権は、大不況シフトになったといえます。一九二九年のニューヨーク株式市場の大暴落に端を発する大恐慌は、近代経済史上最大の出来事です。一九三六年に発表されたケインズの「一般理論」を持ち出すまでもなく、そもそもマクロ経済学(一つの国の経済全体を扱う経済学。適切な経済指標とは何か、望ましい経済政策とは何かという考察を行います)自体が、大恐慌によって生み出されたものです。大恐慌を説明する学説は、数多くあります。

一九二〇年代のバブル崩壊と、その結果としての消費・投資の落ち込み、銀行危機による流動性(現金)不足、各国の保護主義による縮小均衡、恐慌による心理パニックなどなど。その中でも、長い間大恐慌研究の中心課題だったのが金融政策の役割についてです。アメリカの歴史を見ても、貨幣供給と物価変動や生産水準が、強い相関を示していることはわかっていました。問題は、何か原因で、何か結果であるかだったのです。一九七六年にノーベル経済学賞を受賞したフリードマンは、一九六〇年代中頃、貨幣供給が過少になって物価の下落と生産水準の低下を招き、大恐慌を引き起こしたと主張しました。要は、金融政策の誤りが大恐慌の原因だったというわけです。

その一方、貨幣量の減少は実体経済活動の結果にすぎない、という反論もあり、アメリカのみの研究では決定的な答えはなかなかみいだせませんでした。この論争に決着をつけたのが、前述した、一九八〇年代半ばのアイゲングリーンに始まりバーナンキが発展させた国際比較アプローチでした。この国際比較アプローチは、大恐慌期の金融政策が金本位制という外生的要因によって規定され、その金本位制に対する各国のスタンスによって、各国の実体経済のパフォーマンスが影響されていたことを証明しました。この意味で、金融政策が大恐慌の原因だったのです。この研究を突破口として明らかになったことは数多くあります。

たとえば、なぜ各国ともに金本位制に固執したのでしょうか。その答えは意外に単純で、各国の政策担当者が「金本位制=経済の繁栄」という幻想をもっていたからです。この幻想は、第一次大戦前には金本位制によって世界経済が繁栄したことから生まれました。しかし、第一次大戦後は、経済発展に伴う金が不足したこと、第一次大戦を経て、覇権がイギリスからアメリカへ移行しましたが、黒字国であるアメリカに覇権国の自覚がなく、緊縮的な金融政策をとったために、国際的な貨幣供給の減少が生じたことなどが、世界的な大恐慌につながっていったのです。先ほど触れた、次期CEA委員長のローマーは、一九三〇年代のアメリカの大恐慌について、財政政策ではなく金融政策の効果によって脱出できたという有名な論文を書いています。