2016年1月19日火曜日

常任入りの希望を表明

こうした外からの「出馬要請」に対して、当初ドイツ外交の重鎮ゲンシャー外相は慎重だった。その後キンケル外相は九三年一月、パリで会った渡辺外相に、「世界情勢の変化で、より大きな責任を果たさなければならない。日独とはそういう国だ」と意欲を語ったが、二月に来日したコール首相は記者会見で、「国連の役割強化は求めるが、常任理事国入りは強く求めない」と発言し、国際世論を注意深く見守る姿勢を見せた。

しかし、米国は六月三十日、先の総会で決められた安保理改革についての意見書を事務総長に提出し、日本とドイツの常任理事国入りを支持することを正式に明らかにした。この意見書では、拒否権の取り扱いについては言及せず、国連平和維持活動などに積極的な役割を果たすよう促す内容だった。

これに呼応する形で日本は七月、事務総長への意見書をまとめ、「安保理においてなし得る限りの責任を果たす」という表現で常任理事国入りを目指す公式の姿勢を初めて明確にした。これは、「安保理の改組にあたっては、世界の平和と安定のために貢献する意思と相応の能力を有する国を積極的に活用し、安保理ひいては国連の強化につなげることが重要」という意見に続く言葉で、事実上、常任理事国への「立候補宣言」と言える内容だった。さらにこの意見書で日本は、常任、非常任の双方で数を増やし、最大で二十前後まで拡大することを提言した。

これに対し、英国のハード外相は七月十六日、現在のP5の地位に変更を加えないことを条件に、日本とドイツの常任理事国入りを認める考えを明らかにし、米国の意見に同調した。こうして八月までに、事務総長のもとに五十力国以上の意見書が提出されたが、安保理拡大の意見が大勢を占め、変革は避けられないという潮流が生まれた。