2016年2月16日火曜日

女性を援助政策決定に参加させよう

政府の援助政策に女性の視点で最も果敢に挑戦してトたのはイギリスのNGOの女性たちだ。イギリスの援助は第三世界の最も貧しい女性たちにえている。最貧層の男女のための開発プロジェクトは一○%にも満たず、イギリス企業の輸出と政府の外交政策のために使われる額がふえている。援助は、女性たちが様々な権利を獲得するためのものにすべきだ」と、八七年春「女性は変革を求める」キャンペーンを大々的に始めた。女性のための援助二十項目要求を公表し、政府に実行を迫るよう行動してほしいと全国的に呼びかけたのだ。たとえば次のような項目がある。

・政府は援助における女性と開発政策の白書と行動計画を作る。
・海外開発庁はNGoと女性グルトフに開発と女性政策について相談する。 
・すべての援助文書にはそのプロジェクトの女性への影響を評価する声明を付ける。 
・プロジェクトに女性の利益を組み込むとともに、女性に特別の利益になるプロジェクトのための特別基金を設ける。 
・海外開発庁は第三世界の女性組織が行うプロジェクト援助を優先させる。 
・国連女性将来戦略を実施する予定を公表する。 
・イギリス政府援助、か支持しているIMF世銀の経済調整の女性への影響を調べ、女性がプロジェクトの企画、実施、評価に十分に参加する方法を考える。 
・海外開発庁は国際機関に女性と開発の政策と実施を改善するよう働きかける。

二十項目の実行を迫るためのキャンペーンは精力的に行われ、八九年末までに海外開発庁は十六項目について対応したという。しかし、IMFがイギリスをはじめ北の各国政府の支持のもとに行っている経済政策が南の多数の人々に物価値上り、貧困、失業、公共支出の力ッ卜などの破壊的な結果をもたらし、特に女性たちに苦痛を強いている実態を告発する『女性、債務、構造調整』というブックレッ卜を出したりして、国際金融機関を通じての援助に対しても、女性の立場で挑戦していた。ただ、援助を拡げ過ぎて財政難に陥り、九〇年春活動を停止したという。

政府や国際機関の援助政策批判と同時にNGO内部での女性の状況を問い直す動きも各国で盛んだった。西ドイツの教会系NGO「世界のためのパン」の中には、八五年に女性グループが生まれた。「私たち女性スタッフが、女性を援助政策決定に参加させよ、第三世界の女性のためになる援助をするようパートナー団体にも働きかけよ、という二つの女性要求の声をトげたからです」という。