2016年4月16日土曜日

焦げのできる炊飯器

私たちもカスピ海沿岸の東側のバーボルサルで仕事をしていた時があった。ホテルに泊まるが、海岸の別荘を一件借りてそこをくつろぐ場所どしていた。時には自炊をし、ある者はマージャンをし、のんびりとする空間であった。どこかで手に入れた酒をそこで飲んでいた。そして、寝る頃になるとホテルに戻るのである。いつもは町のロータリーの検問もフリーパスなのであるが、止められたことがあった。そして、見慣れぬ顔の男が現れ「酒臭い。酒を飲んでいるだろう。」と厳しい顔で迫ってきた。われわれ5人は小さなペイカンという車のなかで息をとめて「ナッア」と言うのが精一杯であった。いつも見かける連中が色々とりなしているようであったが、小一時間程度の時間がすぎた。新顔は建物のなかであちこち電話していたようであった。

イスラム法では飲酒の罪はむち打ち80回というのが一般的である。私は皆に「今度の金曜日にこのロータリーでむち打ち100回だぞ」と脅したが、その恐ろしさより、酒の入手先のことが気になっていた。結果は時間が解決してくれた。日本の交通取締りのようなアルコール検出器があるわけでもない。そのような状況では酔いも一挙にさめ、車外に出て身体を動かしているうちに何事もなかったかのように解放されたのであった。イスラムとは関係ないがイランでの食べ物に関する面白いことを紹介しよう。

テヘランの中心街であった旧パーラヴィー通りの一角にナショナルが大きな電気釜の看板を立てていた。そこには電気釜で炊いたご飯をすっぽりとケーキのように逆さに取り出した姿が描かれていた。そのご飯は焦げ飯であった。関係者句話によると、当初焦げのできない日本的な炊飯器は売れなかったそうである。イランではお客をもてなした時にわざわざ焦げをつくってメニューに並べるのである。鍋のそこまで洗いざらい貴方をおもてなししていますという意味であるらしい。そこで炊飯器にも焦げが求められたようである。焦げのできる炊飯器は売れたそうである。

2016年3月16日水曜日

エネルギー価額が高騰がもたらしたもの

当時の日本経済研究センターの長期予測が、七五年二月十三日付けの日本経済新聞に掲載されていたが、それには次のように書かれていた。「日本の貿易収支は一九七四年の六月には受け取り超過となり、八月以降は経常収支も黒字となった。石油価額の上昇による外貨負担はたしかに大きいが、日本の経済が発展し、輸出力を高めていくならば、国際収支の前途を悲観するには当たらないだろう」 歴史はその見通しのとおりに動いたのであった。

エネルギー価額が高騰したのであれば、工業製品の製造コストに占めるエネルギーの使用量も、製品そのものの子不ルギー消費量も、大幅に切り下げなければならない。日本の企業は全力をあげて、その省エネルギーに取り組んだ。それらの子不ルギー原単位は劇的に低下しはしめた。

製造工程での省エネルギーは、もともと生産管理の一つの重要な課題である。先に書いたように、日本の企業は一九五〇年代の後半以来、生産管理の重要さを認識し、徹底させて、日本の工業製品の信頼性を格段に高め、国際競争力を向上させてきた。省エネルギーのための努力とは、その方向をさらに推し進めることにほかならなかった。
 
また先にも書いたように、公害防止の第一歩も生産管理の改善であった。日本の企業は、公害を引き起こした加害者として、世論から非難されたが、一九七〇年代に入って、さらに生産管理の改善を進め、廃棄物処理の技術開発のために資金と人材とを投入し、公害防止の努力をかさねた。その公害防止と省子不ルギーとがみごとに一致して成功した事例が、日本の乗用車の排ガス浄化技術であった。乗用車の排ガスが大規模な公害をもたらすというケースは、アメリカのロサンゼルスにおいて特にしばしば見られた。排ガスが一因となってスモッグが発生し、多くの市民が呼吸器障害に苦しんだ。