2016年4月16日土曜日

焦げのできる炊飯器

私たちもカスピ海沿岸の東側のバーボルサルで仕事をしていた時があった。ホテルに泊まるが、海岸の別荘を一件借りてそこをくつろぐ場所どしていた。時には自炊をし、ある者はマージャンをし、のんびりとする空間であった。どこかで手に入れた酒をそこで飲んでいた。そして、寝る頃になるとホテルに戻るのである。いつもは町のロータリーの検問もフリーパスなのであるが、止められたことがあった。そして、見慣れぬ顔の男が現れ「酒臭い。酒を飲んでいるだろう。」と厳しい顔で迫ってきた。われわれ5人は小さなペイカンという車のなかで息をとめて「ナッア」と言うのが精一杯であった。いつも見かける連中が色々とりなしているようであったが、小一時間程度の時間がすぎた。新顔は建物のなかであちこち電話していたようであった。

イスラム法では飲酒の罪はむち打ち80回というのが一般的である。私は皆に「今度の金曜日にこのロータリーでむち打ち100回だぞ」と脅したが、その恐ろしさより、酒の入手先のことが気になっていた。結果は時間が解決してくれた。日本の交通取締りのようなアルコール検出器があるわけでもない。そのような状況では酔いも一挙にさめ、車外に出て身体を動かしているうちに何事もなかったかのように解放されたのであった。イスラムとは関係ないがイランでの食べ物に関する面白いことを紹介しよう。

テヘランの中心街であった旧パーラヴィー通りの一角にナショナルが大きな電気釜の看板を立てていた。そこには電気釜で炊いたご飯をすっぽりとケーキのように逆さに取り出した姿が描かれていた。そのご飯は焦げ飯であった。関係者句話によると、当初焦げのできない日本的な炊飯器は売れなかったそうである。イランではお客をもてなした時にわざわざ焦げをつくってメニューに並べるのである。鍋のそこまで洗いざらい貴方をおもてなししていますという意味であるらしい。そこで炊飯器にも焦げが求められたようである。焦げのできる炊飯器は売れたそうである。