2014年6月12日木曜日

抽象と経験の往復運動

さらに集団の社会的結合と、成員の不安とに関するこの理論の適用範囲は、宗派と自殺率との関係に止まるものではない。デュルケムはこの理論を「家族の結合」と「自殺率」との関係にも応用した。すなわち「独身者は既婚者より自殺率が高い」、また「子供のいない者は子供のいる者より自殺率が高い」という仮説を提出してこれを検証した。この場合「社会的結合」という概念は、「婚姻」「子供の有無」という作業定義に翻訳され、宗派と自殺率の関係とは異なる、新しい仮説を生み出したのである。

デュルケムが同一の理論から導き出した仮説は、これだけではなかった。デュルケムは自らが属したユダヤ人社会の自殺率にこの理論を適用した。当時のフランスでは既にユダヤ人は教育水準が高く、都会に集中し、かつ商業活動に従事する者が多かった。教育水準が高く、都会に住み、商業活動に従事するということは、いずれも自殺率の高い集団の特徴である。

それにもかかわらずデュルケムはユダヤ人の自殺率が、きわめて低いということを予測した。少数民族であったユダヤ人は、キリスト教社会で伝統的に除け者にされていた故に、きわめて結束の固い集団になっていたからである。そしてデュルケムの予測通り、ユダヤ人は教育水準が高く、都市に集中し、かつ商業活動に従事するという、自殺率を高めるような条件が重なっていたのにもかかわらず、彼らの自殺率は低かったのである。このように種々の異なる条件の下での検証の関門をくぐり抜けて、デュルケムの理論はその信頼度を高めたばかりでなく、その適用範囲の広さによって、普遍性の高い有用な理論としてその名声を高めることになった。

以上のデュルケムの研究が示すように、普遍性の高い理論は、一見相互に何の関係もないように見える経験的事実を、同一の原理で説明することができる。プロテスタントの方がカトリックより自殺率が高いという現象と、独身者の方が、既婚者より自殺率が高いという現象は、最初は相互になんの関係もないように思われるであろう。しかしこの相互になんの関係もないように思われる現象は、実は同じ理論から導き出された、二つの異なる仮説によって説明されるのである。

このように普遍性の高い理論は、種々の異なる現象を説明するための、一般的根拠を与えることができる。そこでわれわれは、経験的世界を理解するために、一般的な理論を使用しようと努力するのである。またそれだからこそ、できるだけ多くの経験的事実を説明できるような理論を、構築しようとするのである。それは抽象と経験との間を、往復するための基本的な方法に他ならない。