2013年7月12日金曜日

嫌でも放射能とつきあっていかなければいけない

これだけ大勢の人が一斉に下山する時代は、長い日本の歴史の中でも一回もない。団塊の世代が、全員一斉に登山して、全員一斉に下山しようとしている。このように人口ピラミッドの上の分厚い層が一斉に下山を始めたら何か起きるか。下りるのは自然の摂理だからしかたないが、彼らはただ下山するわけではない。下りるときに、いろいろなものを捨て散らかしていく可能性がある。また食費もかかるし、病気や介護、さまざまなコストが必要になる。また、年を取っているから、身軽に下りられない。要するに、お金がかかるのだ。

実際の登山でも、登るときよりも、下りるときのほうが難しい。有名な登山家も、下りるときに遭難したケースが多いという。若い世代に負担をかけるな、登る人の邪魔をするな。現状では、団塊の世代の下山にかかるコストを、若い世代が補填する仕組みがつくられている。自力で下りてくれればいいのだが、いろいろな形でサポートしないと彼らはスムーズに下りられない。そのサポート代、具体的には現在の公的な年金制度や医療保険は、事実上、そのコストの大半は若い世代の保険料か税金で賄われる仕組みになっている。若い人たち二、三人で老人一人が下山するのをサポートしていくことになるのだ。しかも、平均寿命が延びた結果、下山するまで何十年も時間がかかるから、サポートしている側もどんどん年を取ってしまう。

そうなると、少なくとも支えている側の一人当たりの生産性をもっと上げていかないと、支えられなくなってくる。働いている人たちの所得を上げなければ、破綻するのは目に見えている。そこで、大事になってくるのは、下りるときに、できるだけ子どもや孫に迷惑をかけないことだ。上の世代は、周囲のいろいろなものを捨て散らかしたりしないで、美しい山の自然を残したまま、静かに、整然と、下山してほしい。彼らが下山するときにかかる労力や費用は、彼ら自身で賄うべきである。上の世代が自己完結的に、ストイックに下山することが何よりも大事なのだ。

もう一つ大事なのは、下りる世代がいる一方で、これから山を登っていく若い世代がいるわけだから、最低限、彼らが山に登るのを邪魔しないこと。若い世代がこれから山を登ろうという矢先に、「経済成長はよくない」「拡大路線はもう限界だ」「目先の利益ばかり追いかけてきたから、原発事故が起きたんだ」と、山に登ることそのものを否定しようとする。これは本当に勘弁してほしい。若い世代からすれば、「原発事故が起きたのは、自分たちの責任でも何でもない。上の世代が勝手につくって、危機管理が甘かったせいでこうなってしまった。自分たちがツケだけ払わされぶのは勘弁してほしい」。彼らの気持ちを代弁すると、こんな感じになるだろうか。

「自分たちはこれから先、あなたたちよりも長く生きることになる。国の借金ものしかかるし、嫌でも放射能とつきあっていかなければいけない。だから、あれもこれも押しつけるのはやめてくれ。せめて、自分たちの老後の費用くらい、自分たちで賄ってほしい。貯金もあるし、持ち家もあるんだから、下山するなら自分のお金で。道連れにだけはしないでほしい」経済力の低下、その先にくる本当の悲劇とは?エコ&節約の時代だから、大きな買い物はせずに身の回りの小さな幸せを見つけようとか、カツカツ働かないでゆっくり生きようとか、成長を追い求めずに小さくまとまる発想は、一見、人に優しい気がするものだ。だが、この手の一見もっともらしい話はとても危険だということを忘れてはならない。


2013年7月11日木曜日

日米蜜月時代の到来

振り回される円に転機が訪れたのは、クリントン政権の副大統領だったアルーゴアを破ってジョージ・W・ブッシュが第四十三代大統領に当選した二〇〇一年一月からである。折しも日本では〇一年四月に、構造改革を掲げる小泉内閣が誕生し、クリントン時代には戦後最悪だった日米関係は、「ロンーヤス時代」をも上回る友好時代を迎えた。リンゼー大統領補佐官がホワイトハウス入りする直前の二〇〇〇年末にワシントンで対日経済政策を中心に行った講演が注目に値する。それによれば、ブッシュ政権の対日政策は、次のような枠組みになっている。

第一に外圧を控えめにすること。日本の改革は日本の政治家だけができる。外圧を加えれば改革とともに起きる痛みを米国のせいにされるだけだ。クリントン政権のような方法は日本の政治家の反米志向を強め、日本を内向きに孤立させかねない。第二に助言の仕方を変えることだ。国益だけを求めた助言ではなく、共通の原則にのっとった話し合いが必要だ。米国は日本の財政・金融政策の細かいところまで決めるべきではない。第三に日本の改革の米国経済への影響について注意深く考える必要がある。日本が財政改革に踏み切れば、米国の貿易・資本市場に影響を与える。その場合、我々は相互の政策協調や市場の開放で解決することを望む。為替相場の変動は望まない。

次の十年には大きな変化があるだろう。日本との関係を軽視した過去十年は不幸だっただけでなくおそらくは維持できないものだった。外圧にかわって相互の協力と尊敬にのっとることが必要だ。それが世界の二大経済大国にとって適切な政策だI。小泉首相はこの路線に乗った。〇三年五月から、政府・日銀は巨額の円売り・ドル買い介入を始めた。前年の〇二年春以降、米国の「双子の赤字」を織り込む形で、ドルは徐々に下落していた。そうしたなかで、円高の加速を防ごうと政府・日銀は〇三年一-三月には合わせて十七営業日、金額にして二兆三千八百六十七億円の円売り介入を実施した。

その後、円相場が小康を取り戻したことで、政府・日銀は介入をやめたが、五月八日に円売り介入を再開した。一ドル=一二〇円近辺で推移していた円相場が一一五円の壁を突破する勢いを示したからで、円売り介入額は六月末までに四兆六千百十六億円にのばった。円売り介入額は、介入ゼロの四月を入れた四上八月の四半期ベースでみても、この時点では過去最高となった。大量介入の引き金となった、〇三年春の円高・ドル安。うっかり発言の多かった当時のジョンースノー米財務長官が、□を滑らし「ドル安容認」ととれる発言をしたことが直接のきっかけだ。雪道で滑って尻餅をつくことになぞらえて、「スノー・スリップ」といったジョークも飛び出した。

実は、根っこはもっと深いものだった。ひとつは、米国のデフレ懸念と金利動向である。グリーンスパン議長の率いる米連邦準備理事会(FRB)が、〇三年五月六日の連邦公開市場委員会(FOMC)で、「望ましからざる継続的なインフレ率の低下」という表現で「デフレの懸念」に言及し、追加的な金融緩和を示唆したのである。デフレを食い止めるために、ある程度のインフレを喚起する政策を「リフレーション」という。リフレ政策の下で、米国の長期金利が下がれば、金利面から米国債への投資に魅力がなくなるとみて、ドル安が進もうとしていた。

2013年7月10日水曜日

為替相場はどうやって決まるのか

おカネの価値(キャッシュフロー)を自由に加工できるデリバティブの市場が拡大したことで、金融商品相互間でマネーは自由に行き来するようになり、投資資金は楽々と国境をまたぐようになったのだ。国内の経済要因からは思いもよらない形で、株価や金利が変動する時代が到来しつつある。長期には当てはまる購買力平価説肝心の問いに戻ろう。為替相場はいかにして決まるのか。神様も手を焼くという「円・ドル相場」を占ううえでのポイントは何か。為替相場を数年から十年単位の巨視的な流れでみれば、内外の物価上昇格差、なかでも貿易財の上昇格差に応じて決まってくるとされる。

これが購買力平価(Purchasing power parity)説である。購買力とは、端的にいえば通貨の使いでである。物価が上昇すれば、その国の通貨の使いでは目減りしていく。二つの国の物価上昇率を比べれば、どちらの国の通貨の使いでがあるかが比率で求められる。こうして、ある時点の為替相場を基に、その後の二つの国の物価上昇率を比べることによって、購買力平価ペースの為替相場が求められる。例えば、七三年に変動相場制に移行して以来の円高・ドル安は、米国の物価上昇率が日本を上回っていたことに伴う、円の購買力の上昇として説明される。ごもっとも。だが、それだけである。というのも、数年から十年の単位で為替相場が購買力平価に沿って動くとしても、その間の相場は山あり谷ありで、一本調子の円高が続いていたとは、とてもいえないからだ。

例えば、八〇年代前半のレーガン政権時代の異常ドル高から、八五年九月のプラザ合意をきっかけに進んだ急速な円高・ドル安。九〇年のバブル崩壊直後のドル高を経て、クリントン政権発足を機に九五年四月には一時、一ドル=八〇円をも突破した超円高。そして、日本の金融危機をきっかけにした九八年の円安や、〇三年九月のドバイでのG7会議をきっかけにした円相場の急騰、〇七年に入って際立った円の独歩安、一〇年七月時点で再び一ドル=八〇円台の円高になっていることなど。その間に年率何十%もの物価変動があったわけではないので、円の動きは購買力平価説ではとても説明できない。そこで、「為替取引は異なる通貨の間の交換である」、という点に戻って考える必要がでてくる。要するに、円・ドル相場とは円とドルの交換比率である。マーケットでドルに対する円の需要が多ければ、円高・ドル安になる。反対に、円の需要が少なければ、円安・ドル高になる。こう考えるのが、一番素直というものだ。

国内外の為替の需給を左右するものは何か。真っ先に思いつくのが、ある一定期間の海外との経済取引を集計した「国際収支」である。「国際収支」の主役は二人。主にモノやサービスのやりとりを集計した「経常収支」と、海外との株式、債券の取引や企業買収などに伴う投資の流れを集計した「資本収支」である。このほか、どの項目にも分類できない「誤差脱漏」と、外為市場に対する政府の介入に伴う「外貨準備増減」というのがある。グローバル経済の主役、米国では「誤差脱漏」が非常に大きく、〇三年度の日本では巨額の円売り介入で「外貨準備」の増加が際立っている。

基本に立ち返って「経常収支」と「資本収支」に注目しよう。為替相場を論じるときに、日本に住まう我々はついつい「経常収支」にスポットライトを当てがちである。「経常収支」のなかでも、「貿易収支」に注目し、日米の貿易不均衡を論じることは、エコノミストやジャーナリストの倣いとなってきた。政策担当者もこのテーマに縛られ続けてきた。それにしても、七一年のニクソンーショックによる突然の金・ドルの交換停止とドルの切り下げと、八五年のプラザ合意による円相場の急騰、そしてクリントン政権によるドル安容認に端を発した九五年の超円高は、いずれも日本の経営者や政策当局者のトラウマ(心的外傷)となってきた。

2013年7月9日火曜日

欧州安定基金の創設

年金・賃金を凍結し、賞与を廃止する。日本の消費税に当たる付加価値税を二一%から二三%に引き上げる。奢侈税・たばこ税・酒税を引き上げる。一気に打ち出された緊縮策が、それまで生ぬるい湯に浸かっていた労組の憤激を買い、ゼネストを誘発した。その際の混乱は冒頭に記した通りである。それでも緊縮策を通さなければ、一〇年五月十九日に迫っていた国債の借り換えはままならず、国家破産してしまう。そんな危機意識に背中を押されて、ギリシヤ議会は五月六日に財政再建策を承認した。だが、これはギリシヤが国として会社更生の適用を申請したようなもので、投資家、当局、納税者そして誰よりもギリシヤ国民にとって、悲劇の幕は開いたぽかりなのだ「0ut of order」となった経済の道のりは続く。

今やユーロという人造通貨は累卵の危うきに陥った。二〇一〇年五月に入り対ドルで心理的なカベだった一ユーロ=一二ニドルを割り、円に対しても一ユーロ=一一〇円近辺までつるべ落としとなった。五月七日のユーロ圏首脳会議はユーロ防衛のための基金の創設で合意した。ファロンパイEU大統領は、「EUとECBが最大限の手段を活用する」との声明を発表した。「最大限」とは威勢がよいが、基金の規模は当初は七百億ユーロ程度が想定されていた。ギリシャ一国だけで千百億ユーロはかかろうというのに、これでは見せ金もいいところ。それもこれも、ユーロの最大加盟国であるドイツが危機対策のための財政負担を嫌ったからだ。

財政資金の用意に手間取るなら、ECBが加盟国の国債を買い入れるという手段だってあった。五月六日にリスボンで開いたECB理事会後の記者会見では、トリシエ総裁に国債買い入れに関する質問が集中した。が、総裁は「そんなことは議論しなかった」の一点張り。スタンダードーアンドープアーズ(S&P)が「投機的」水準まで格下げしたギリシャ国債を担保に、ECBは資金を供給している。このうえ、国債の買い入れまで呑まされてはかなわない。そんな本音がほの見えた。そのないない尽くしが、トリシエ総裁の母国フランスのサルコジ大統領の逆鱗に触れた。

五月九日、日曜日。EU本部のあるブラッセルに集まったEUの財務相たちは、悲壮感に溢れていた。五月十日未明まで半日に及ぶマラソン会議で、EUはIMFの助けを得て総額七千五百億ユーロ、一ユーロ=一一〇円換算で八十二兆円強の「欧州金融安定基金」の創設を決めた。EUの仕組みを定めたリスボン条約一二二条二項に基づき、自然災害と同等の「制御できない例外的な事態」に備えたものである。この七千五百億ユーロは三本立てになっている。まず、EUが既存の国際収支援助計画を拡充し、EUの執行機関である欧州委員会が債券を発行する。財政危機に陥った国の要請に基づいて融資する。その金額は六百億ユーロ。これが第一段階である。

次の第二段階では、ユーロ圏十六カ国が期限三年の特別目的基金(SPV)を作る。ユーロ圏十六力国に保証してもらって、この基金が市場で資金を調達する。第一段階では資金が足りなくなった際の備えで、その金額は四千四百億ユーロだ。それと並行してIMFのお出ましを願う。IMFは全体の融資の三分の一に当たる二千五百億ユーロを負担する。その際はEU域外からの信用補完を受ける。もはや欧州が身内の面倒を身内で見られなくなった証拠である。その分、IMFの融資条件は厳しく、財政再建を厳格に監視する。ギリシヤ支援の七倍近い規模の「金融安定基金」に加え、五月十日にはECBがユーロ圏諸国の国債の買い入れを決めた。機能不全に陥った国債及び社債の流通市場への介入を発表したのだ。ギリシヤなどPIIGS諸国の国債に対する救済策と言ってよい。買い入れはしないという決定をわずか四日間で覆したのである。ECBの信認低下は避けられない。

2013年7月8日月曜日

マクロ経済学は相対性理論の世界

それは経済学者が怠っているからというよりも、あまりにも急速に、経済の方が巨大化し、複雑化しているためでもある。しかも経済学の中にも、いくつもの流派があり、基本的な問題についても見解が異なることがしばしばである。残念ながら、もっとも有力な経済学説でさえ、現実に起きている経済現象を、ごく大雑把に、あるいは、ごく部分的に説明できているに過ぎない。普遍性があるように思われた理論も、別の時代には、まったく成り立たなかったりする。しかも、それに政治や組織の体質というものが絡むと、もっと奇怪なことが起こりはじめる。先の章でも述べたが、経済学の世界では完全に時代遅れとなって、すでに否定されている理論が、れっきとした政策として採用されたり、経済学の常識から言っても、それだけはやってはいけないというようなことが、堂々とまかり通ったりしてしまうのである。

ことにデフレについては、経験も理解も乏しかったのである。戦後五十年、経済は右肩上がりが続き、オイルショック以降、問題となり続けたのは常にインフレであった。バブルもまた、上地や株の資産インフレであった。インフレの経済学については、身近なところに実例がたくさんあり、それについては、よく研究され、政策当局も、インフレのコントロールということには、ある程度、習熟していたと言える。ところが、デフレとなると、実際に誰も体験したことがなかった。本格的なデフレが最後に起きたのは戦前であり、世界的に見ても、デフレという現象は、大恐慌以降、ほとんど起きていなかったのである。

そのため、デフレのデメリットについて、実感も危機感も乏しかった。「良いデフレ」という言葉が用いられたりしたのも、そうした認識不足のためだった。実際、物価が下がることは良いことであり、経済の安定化につながると考える一部の経済学者たちもいた。物価が下がると、同じ所得を得ていても、購買力が増し、裕福になるからだというのである。同じ所得が得られなくなることには考えが及ばなかったというわけだ。幸いなことに、ようやく日本銀行や政策立案者たちも、過ちに気づき始め、舵を取り直しつつあるように思えるが、そこでもまた手ぬるい対応に終われば、復活のチャンスを本当に失ってしまいかねない。

混乱を招きやすい要因の一つは、グローバル化時代の経済は、かつての経済の常識が通用しなくなっているということである。ところが、多くの国民も、その代表である政治家も、経済通と言われる人でさえも、その点をあまり理解していない。そもそも国全体の経済は、一人ひとりの個人や一つひとつの企業の経済とは、まったく異なる「常識」で動いている。前者はミクロ経済学といい、後者はマクロ経済学と呼ばれる。しかもグローバル化した開放経済のもとでのマクロ経済学は、ミクロ経済学がニュートン力学の世界ならば、相対性理論のような世界であり、常識的な原理が当てはまらないのである。自分の発射したピストルの弾が、どこまでも真っ直ぐ進み続けて、自分の頭を撃ち抜くというような不可思議な現象が、マクロ経済学では起きるのだ。

たとえば、景気対策に行われる代表的な政策である減税と公共投資を例にとろう。景気を良くするために、大規模な減税や公共投資を行い、すこし景気が良くなったと思ったら、円高がやって来て、回復しかけた景気を台なしにするということをしばしば経験していないだろうか。だが、これは、マクロ経済学的に言うと、必然的な結果なのである。減税や公共投資の増加は、通貨高を引き起こし、輸出を減らす方向に働くのである。助けたつもりが、輸出企業を苦しめ、雇用を減らす結果になる。それを防ぐためには、十分通貨供給量を増やしておく必要がある。日銀がそれを十分にやっていないと、円高になってしまう。

2013年7月6日土曜日

非常に心理的、精神的な現象でもある

さすがに近頃では、日本のあまりの迷走ぶりに、事態が本当に危うくなりかねないと見たのか、高みの見物と決め込んでいた人たちも、いい加減にしろと叫び始めているが、少し前までは、日本人はバッシングを避けるために、落ち目のふりをしているのではないかという意見さえもあったほどだ。彼らからすると、そんなに弱っているということが、まるでピンとこなかったのだ。しかし、現実に三万人を超える人が毎年自殺し、百万人を超える人がうつ病で治療を受けなければならないほど弱り続けているのである。一体、これはどういうことなのか。疑問は深まるばかりだった。

畑違いの問題にこれ以上関わるのはよそうと思いつつ、気が付いたら、私は深みへ入り込んでいた。もうここらで引き返そうと何度も思いながら、だが、疑問に思ったことは、おざなりに放置しておけない性分から、とうとうその核心部分にまで踏み込んでしまっていた。それまで私は、日本の陥っている状況が避けがたいものであり、仕方がないこととして受け止めるしかないと思っていた。だが、実際には不可避というよりも、むしろ人為的に招きよせた面が少なからずあるばかりか、本来一時的な現象を、永続的な現象であるかのように思い込んでしまい、自らの首を絞める方向に加速してしまった悪循環のプロセスが大きく関わってきた。それは、国全体が、間違った認識に陥ることによって、国自体を自ら弱らせてきた過程であり、それに無宰の国民が巻き込まれ、犠牲の山を築いてきたという状況である。その状況は、さながら、かつての戦争に至る自滅的な道程を思わせるものがある。

なぜ精神科医の私かこういうことを言わなければならないのかと言えば、一つには、それが経済的な現象であると同時に、非常に心理的、精神的な現象でもあるからだ。本論で述べていくように、三万人を超える自殺者のうち約三分の一は、デフレーションによってもたらされたデフレ自殺だと考えるが、このデフレという現象は、経済学的な現象であると同時に、心理的なダイナミズムが大きく関わっており、人々の心理状態がその発生に関与するだけでなく、デフレ状態が、逆に精神状態に影響を及ぼし、世界観や未来観さえも左右してしまうのである。

デフレから脱するためには、経済・金融政策が重要であるのは言うまでもないが、それだけでは不十分で、人々に取りついた悲観的な認知を修正することが必要なのである。ところが、経済の専門家たちさえも、悲観論を煽るような論調で、ますます国民を不安に既めるばかりである。そうした状況に危惧と苛立ちを覚え、見殺しにされてきた国民のためにも、一言言っておく必要があると思うに至ったというのが、二つ目の理由である。この三十年、何が起きてきたのか、どこで間違ったのかを正しく認識することが、日本が悪夢と迷妄から目覚め、この悪循環のプロセスに終止符をうつためには是非とも必要に思えるのである。

この十三年だけで、四十二万人もの人が、自殺によって人生を終えている。これは、太平洋戦争における空襲(原子爆弾を含む)による民間人の犠牲者五十万人に迫るものである。自殺に追い込まれ、自ら命を絶たなければならなかった人も、なぜ自分が死へ追い込まれたのか、それを知る権利はあるだろう。ただ、うつになったから、経済苦で追い詰められたからでは、本当の説明にはなっていないのだ。何かその状況を生み出したのか、そして生み出し続けているのかを知ることが、こうしている間にも、十七分に一人の人が命を絶っている状況に、もっと根本的な手立てを講じることにつながるはずである。