2013年7月11日木曜日

日米蜜月時代の到来

振り回される円に転機が訪れたのは、クリントン政権の副大統領だったアルーゴアを破ってジョージ・W・ブッシュが第四十三代大統領に当選した二〇〇一年一月からである。折しも日本では〇一年四月に、構造改革を掲げる小泉内閣が誕生し、クリントン時代には戦後最悪だった日米関係は、「ロンーヤス時代」をも上回る友好時代を迎えた。リンゼー大統領補佐官がホワイトハウス入りする直前の二〇〇〇年末にワシントンで対日経済政策を中心に行った講演が注目に値する。それによれば、ブッシュ政権の対日政策は、次のような枠組みになっている。

第一に外圧を控えめにすること。日本の改革は日本の政治家だけができる。外圧を加えれば改革とともに起きる痛みを米国のせいにされるだけだ。クリントン政権のような方法は日本の政治家の反米志向を強め、日本を内向きに孤立させかねない。第二に助言の仕方を変えることだ。国益だけを求めた助言ではなく、共通の原則にのっとった話し合いが必要だ。米国は日本の財政・金融政策の細かいところまで決めるべきではない。第三に日本の改革の米国経済への影響について注意深く考える必要がある。日本が財政改革に踏み切れば、米国の貿易・資本市場に影響を与える。その場合、我々は相互の政策協調や市場の開放で解決することを望む。為替相場の変動は望まない。

次の十年には大きな変化があるだろう。日本との関係を軽視した過去十年は不幸だっただけでなくおそらくは維持できないものだった。外圧にかわって相互の協力と尊敬にのっとることが必要だ。それが世界の二大経済大国にとって適切な政策だI。小泉首相はこの路線に乗った。〇三年五月から、政府・日銀は巨額の円売り・ドル買い介入を始めた。前年の〇二年春以降、米国の「双子の赤字」を織り込む形で、ドルは徐々に下落していた。そうしたなかで、円高の加速を防ごうと政府・日銀は〇三年一-三月には合わせて十七営業日、金額にして二兆三千八百六十七億円の円売り介入を実施した。

その後、円相場が小康を取り戻したことで、政府・日銀は介入をやめたが、五月八日に円売り介入を再開した。一ドル=一二〇円近辺で推移していた円相場が一一五円の壁を突破する勢いを示したからで、円売り介入額は六月末までに四兆六千百十六億円にのばった。円売り介入額は、介入ゼロの四月を入れた四上八月の四半期ベースでみても、この時点では過去最高となった。大量介入の引き金となった、〇三年春の円高・ドル安。うっかり発言の多かった当時のジョンースノー米財務長官が、□を滑らし「ドル安容認」ととれる発言をしたことが直接のきっかけだ。雪道で滑って尻餅をつくことになぞらえて、「スノー・スリップ」といったジョークも飛び出した。

実は、根っこはもっと深いものだった。ひとつは、米国のデフレ懸念と金利動向である。グリーンスパン議長の率いる米連邦準備理事会(FRB)が、〇三年五月六日の連邦公開市場委員会(FOMC)で、「望ましからざる継続的なインフレ率の低下」という表現で「デフレの懸念」に言及し、追加的な金融緩和を示唆したのである。デフレを食い止めるために、ある程度のインフレを喚起する政策を「リフレーション」という。リフレ政策の下で、米国の長期金利が下がれば、金利面から米国債への投資に魅力がなくなるとみて、ドル安が進もうとしていた。