2013年7月6日土曜日

非常に心理的、精神的な現象でもある

さすがに近頃では、日本のあまりの迷走ぶりに、事態が本当に危うくなりかねないと見たのか、高みの見物と決め込んでいた人たちも、いい加減にしろと叫び始めているが、少し前までは、日本人はバッシングを避けるために、落ち目のふりをしているのではないかという意見さえもあったほどだ。彼らからすると、そんなに弱っているということが、まるでピンとこなかったのだ。しかし、現実に三万人を超える人が毎年自殺し、百万人を超える人がうつ病で治療を受けなければならないほど弱り続けているのである。一体、これはどういうことなのか。疑問は深まるばかりだった。

畑違いの問題にこれ以上関わるのはよそうと思いつつ、気が付いたら、私は深みへ入り込んでいた。もうここらで引き返そうと何度も思いながら、だが、疑問に思ったことは、おざなりに放置しておけない性分から、とうとうその核心部分にまで踏み込んでしまっていた。それまで私は、日本の陥っている状況が避けがたいものであり、仕方がないこととして受け止めるしかないと思っていた。だが、実際には不可避というよりも、むしろ人為的に招きよせた面が少なからずあるばかりか、本来一時的な現象を、永続的な現象であるかのように思い込んでしまい、自らの首を絞める方向に加速してしまった悪循環のプロセスが大きく関わってきた。それは、国全体が、間違った認識に陥ることによって、国自体を自ら弱らせてきた過程であり、それに無宰の国民が巻き込まれ、犠牲の山を築いてきたという状況である。その状況は、さながら、かつての戦争に至る自滅的な道程を思わせるものがある。

なぜ精神科医の私かこういうことを言わなければならないのかと言えば、一つには、それが経済的な現象であると同時に、非常に心理的、精神的な現象でもあるからだ。本論で述べていくように、三万人を超える自殺者のうち約三分の一は、デフレーションによってもたらされたデフレ自殺だと考えるが、このデフレという現象は、経済学的な現象であると同時に、心理的なダイナミズムが大きく関わっており、人々の心理状態がその発生に関与するだけでなく、デフレ状態が、逆に精神状態に影響を及ぼし、世界観や未来観さえも左右してしまうのである。

デフレから脱するためには、経済・金融政策が重要であるのは言うまでもないが、それだけでは不十分で、人々に取りついた悲観的な認知を修正することが必要なのである。ところが、経済の専門家たちさえも、悲観論を煽るような論調で、ますます国民を不安に既めるばかりである。そうした状況に危惧と苛立ちを覚え、見殺しにされてきた国民のためにも、一言言っておく必要があると思うに至ったというのが、二つ目の理由である。この三十年、何が起きてきたのか、どこで間違ったのかを正しく認識することが、日本が悪夢と迷妄から目覚め、この悪循環のプロセスに終止符をうつためには是非とも必要に思えるのである。

この十三年だけで、四十二万人もの人が、自殺によって人生を終えている。これは、太平洋戦争における空襲(原子爆弾を含む)による民間人の犠牲者五十万人に迫るものである。自殺に追い込まれ、自ら命を絶たなければならなかった人も、なぜ自分が死へ追い込まれたのか、それを知る権利はあるだろう。ただ、うつになったから、経済苦で追い詰められたからでは、本当の説明にはなっていないのだ。何かその状況を生み出したのか、そして生み出し続けているのかを知ることが、こうしている間にも、十七分に一人の人が命を絶っている状況に、もっと根本的な手立てを講じることにつながるはずである。