2013年7月10日水曜日

為替相場はどうやって決まるのか

おカネの価値(キャッシュフロー)を自由に加工できるデリバティブの市場が拡大したことで、金融商品相互間でマネーは自由に行き来するようになり、投資資金は楽々と国境をまたぐようになったのだ。国内の経済要因からは思いもよらない形で、株価や金利が変動する時代が到来しつつある。長期には当てはまる購買力平価説肝心の問いに戻ろう。為替相場はいかにして決まるのか。神様も手を焼くという「円・ドル相場」を占ううえでのポイントは何か。為替相場を数年から十年単位の巨視的な流れでみれば、内外の物価上昇格差、なかでも貿易財の上昇格差に応じて決まってくるとされる。

これが購買力平価(Purchasing power parity)説である。購買力とは、端的にいえば通貨の使いでである。物価が上昇すれば、その国の通貨の使いでは目減りしていく。二つの国の物価上昇率を比べれば、どちらの国の通貨の使いでがあるかが比率で求められる。こうして、ある時点の為替相場を基に、その後の二つの国の物価上昇率を比べることによって、購買力平価ペースの為替相場が求められる。例えば、七三年に変動相場制に移行して以来の円高・ドル安は、米国の物価上昇率が日本を上回っていたことに伴う、円の購買力の上昇として説明される。ごもっとも。だが、それだけである。というのも、数年から十年の単位で為替相場が購買力平価に沿って動くとしても、その間の相場は山あり谷ありで、一本調子の円高が続いていたとは、とてもいえないからだ。

例えば、八〇年代前半のレーガン政権時代の異常ドル高から、八五年九月のプラザ合意をきっかけに進んだ急速な円高・ドル安。九〇年のバブル崩壊直後のドル高を経て、クリントン政権発足を機に九五年四月には一時、一ドル=八〇円をも突破した超円高。そして、日本の金融危機をきっかけにした九八年の円安や、〇三年九月のドバイでのG7会議をきっかけにした円相場の急騰、〇七年に入って際立った円の独歩安、一〇年七月時点で再び一ドル=八〇円台の円高になっていることなど。その間に年率何十%もの物価変動があったわけではないので、円の動きは購買力平価説ではとても説明できない。そこで、「為替取引は異なる通貨の間の交換である」、という点に戻って考える必要がでてくる。要するに、円・ドル相場とは円とドルの交換比率である。マーケットでドルに対する円の需要が多ければ、円高・ドル安になる。反対に、円の需要が少なければ、円安・ドル高になる。こう考えるのが、一番素直というものだ。

国内外の為替の需給を左右するものは何か。真っ先に思いつくのが、ある一定期間の海外との経済取引を集計した「国際収支」である。「国際収支」の主役は二人。主にモノやサービスのやりとりを集計した「経常収支」と、海外との株式、債券の取引や企業買収などに伴う投資の流れを集計した「資本収支」である。このほか、どの項目にも分類できない「誤差脱漏」と、外為市場に対する政府の介入に伴う「外貨準備増減」というのがある。グローバル経済の主役、米国では「誤差脱漏」が非常に大きく、〇三年度の日本では巨額の円売り介入で「外貨準備」の増加が際立っている。

基本に立ち返って「経常収支」と「資本収支」に注目しよう。為替相場を論じるときに、日本に住まう我々はついつい「経常収支」にスポットライトを当てがちである。「経常収支」のなかでも、「貿易収支」に注目し、日米の貿易不均衡を論じることは、エコノミストやジャーナリストの倣いとなってきた。政策担当者もこのテーマに縛られ続けてきた。それにしても、七一年のニクソンーショックによる突然の金・ドルの交換停止とドルの切り下げと、八五年のプラザ合意による円相場の急騰、そしてクリントン政権によるドル安容認に端を発した九五年の超円高は、いずれも日本の経営者や政策当局者のトラウマ(心的外傷)となってきた。